ゆるゆる2000字読書感想文『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻
好きなんです。僕、燃え殻さんの文章。ツイッターの投稿だけじゃなくて、メディアに書いているコラムだったりお悩み相談だったり。僕も庭新聞でコラムを書かせてもらっているので、そういう時に燃え殻さんの文章をいつも参考にしたいなあと思うんですが、参考にはならないんです。あんなにうまい文章をかけないから。
いつもはコラムなどなどは積極的に読んでいたけれど、小説は(出ていることはもちろん知っていましたが)読んでいませんでした。その理由はそ、えっと、性的な描写で始まるから。
これは純文学小説あるあるかもしれないのですが、もう、性的な描写が多すぎることがあると思うんです。高校時代、いろいろな小説を読んで、軽めの文学少年だった僕は、かつて芥川賞をとって文庫本になった作品をちゃんと読むということをやってみたのですが、どれもつまらないんですよ。なんでつまらないのかというと、審査員の性的嗜好に近い作品ばかり選ばれてるんじゃないの??ということを思うようになってしまったから。「共喰い」とかね。確かにすごい作品なのかもしれないけれど、ん〜。官能小説的な純文学が好きだという性癖を持っている審査員のオジサマの心をもっとも満足させてあげたら勝ちみたいな印象を当時の僕は受け取ったのです。
で、燃え殻さんのこの作品も性的描写で始まるものだから、なんだか手を出さずにいました。しかも、この本の帯に推薦文書いてるのもオジサンばかりで、いや、あなたたちがこういう性癖あるからじゃないの?と思ってしまったんですよね。
が、やっぱり気になるのでブームが少し去った今頃になってようやく読んで見ました。
結局のところ、面白かったです。サクッと読めます。性癖なんじゃない?とか言ってごめんなさい。
あらすじはAmazonの商品ページに乗っていたものをいつも通りを貼っておきます。
(あらすじ)
17年前、渋谷。大好きだった彼女は別れ際、「今度、CD持ってくるね」と言った。それがボクたちの最終回になった。17年後、満員電車。43歳になったボクは、人波に飲まれて、知らないうちにフェイスブックの「友達申請」を送信してしまっていた。あの最愛の彼女に。とっくに大人になった今になって、夢もない、金もない、手に職もない、二度と戻りたくなかったはずの“あの頃”が、なぜか最強に輝いて見える。ただ、「自分よりも好きになってしまった人」がいただけなのに……
小説の中には二つの時間軸があります。現在のボクと昔のボク。現在のボクがFaceboookで昔の恋人をたまたま「知り合いかも」で見つけたところから話は始まります。
昔のことを思い出すきっかけは、日常の中に意外と潜んでいます。匂いや音楽、初めて見たはずなのに何処かで見たことがあるような気がする風景、それで昔の思い出が色々と蘇ってくるわけです。小説の中では20代前半から後半までをいったりきたりを繰り返しながら思い出します。
これはもちろん、燃え殻さん自身の体験や思い出によって書いている部分が大きいとは思うのですが、誰かになろうとしたけれど誰にもなれなかった人たちの話なのではないかと思います。
小説の中のボクには夢がありません。昔からそうだし、今現在もアルバイトで始めた美術制作の仕事を社員になり、ただ漫然と続けています。それが物凄く好きだったり、その仕事にやりがいを感じていたりするわけではないということはアリアリと伝わってきます。彼が夢を語ったのは別れることになる恋人に語ったことだけです。それでいてボクの周りの女性はみんな、そんなボクに魅力を感じてくれていながら、何かになろうともがいています。
インドに行ったり、海外の舞台を夢見ていたり、有名な女優になりたいと言っていたり。誰もが何かしらになろうとしています。
でも、結局誰も何にもなれていません。20代だったあの人やこの人が大人になったけれどもその人たちは何も描かれません。描かれないのは何かになれなかったからでしょう。もしもスーが本当に海外の舞台を踏めていたのならこの小説は全く別のハッピーエンドに向かうことになったからです。スーはこの小説に出てきたときからバッドエンドを決定付られていました。
思い出は呪いに似ていると思うことがあります。楽しかった思い出も今の自分と比べてしまったのなら、思い出が今の自分を見下し始めるような。それでいて今の自分が何者でもなく、ただの社会の歯車の一つでしかないときに、思い出は楽しかったけれど自分が正しい道を歩んでこれたのかわからなくなり、悩むこともあります。
この本は思い出と思い出が作る悩みに優しく寄り添って、まあそれでもいいんじゃないと言ってくれる本なのだと思います。
一つわからないことがありました。それはこのタイトル「ボクたちはみんな大人になれなかった」です。なんで大人になれなかったのか。ある意味、夢を諦めて妥協して成長した姿は大人でもあります。ボクがなろうとしたのは東京に馴染んだ大人になることだったというような描写もあります。そうするとボクは大人になれているはずなのに、なぜ「大人になれなかった」のか。
それはこのタイトルがどちらの時間軸の視点で書かれているのかを考えればわかります。今現在の自分たちから考えれば「ボクたちは(夢を諦めて)大人になった」です。でも過去のボクたちからしたら「ボクたちはみんな(憧れていた)大人にはなれなかった」になります。
これは今のボクたちを過去のボクたちが少し冷めた目で眺めたタイトルのような気がしています。