読書感想文『忘れられた巨人』

読書感想文『忘れられた巨人』

ミーハーなんです。僕は。

なので久しぶりに何か小説を読みたい気分になったときに目に留まったのが本屋さんで平積みされ、デカデカと「祝ノーベル賞受賞!!」とポップがつけられたこの本だったのも、ミーハー心ゆえ。

カズオ・イシグロさんの作品で代表作と言われているのは、イギリス文学賞の最高峰ブッカー賞を受賞している『日の名残り』らしいのだけれど、僕が読むことにしたのは『忘れられた巨人』。なんでこの作品にしたのかといえば、カズオ・イシグロさんの作品の中でもそれほどメジャーでもなくマイナー過ぎもしないから。

僕は自分でもなかなかに面倒臭い性格だと思うのだけれど、なんでもちょっと外したがるところがある。例えば、ドストエフスキーの本で有名なのは『罪と罰』、『カラマゾフ兄弟』だけれど、僕が読んだことのある作品は『地下室の手記』。ドメジャーすぎるものはなんだかダサく感じてしまい、若干マニアックなところを攻めてそれを読み始めた。『地下室の手記』の訳者あとがきには、この本をドストエフスキーの作品の中で初めて手にする人はまずいないだろうが、と書かれていたが、いるんです。僕です。

でも、きっとメジャーすぎるところを外したがる心、みなさんあるんじゃないだろうか?

マママママジョリティー

みんなと同じものが欲しいだけど

マジョリティ、マイノリティ

みんなと違うものも欲しい

と歌ったのはチャットモンチー。

Cause I want to be the minority
I don’t need your authority
Down with the moral majority
‘Cause I want to be the minority

と歌ったのはGreen Day。あるよなそういうとこ。

というわけで僕は代表作『日の名残り』でも、綾瀬はるか出演でドラマ化されている『わたしを離さないで』でもなくメジャー過ぎもしなければマイナー過ぎもしない、ちょうどいい作品=『忘れられた巨人』を読み始めたわけだ。

 

内容は、すごくシンプルにいえば「記憶」の話。ここまで読者に「記憶」というものをしかもこういうアプローチ(現代ではなくてアーサー王亡き後のブリテン島が舞台)で考えさせるのは、なんというかさすがノーベル文学賞作家!!!

この世界で暮らしている人はすぐに物忘れをする。主人公は老夫婦。息子のことすらも多くのことを忘れてしまっていた老人アクセルは、ある日ふと思い出して息子の村を探しに妻ベアトリスと旅をする。その途中で竜を退治しようとする戦士や竜を守る人々などにであい、時に死にかけながら旅を続ける。という話。途中で化け物は出てくるし、黒いマントをまとった老婆は出てくるし鬼はいるし。

主人公がもしも老夫婦ではなくて、普通の男子高校生と美少女の旅の話だったりしたらノーベル賞ではなく電撃文庫から出版されてアニメ化でもされそうな内容だ。でも、残念ながら主人公は老夫婦。

旅の間には記憶を取り戻すことの恐ろしさが描かれている。最初は僕も、特に深い考えなく記憶を取り戻すことは、当たり前に幸せだと思いながら読み進めていた。

だけれど、ある時から読者は記憶を取り戻すことが果たして本当に幸せなのかという疑問を突きつけられる。

この舞台にはブリトン人とサクソン人という二つの人種が出てくる。かつては民族同士て紛争がありお互いを憎しみあっていた過去があるものの、みんながみんな昔のことを忘れているおかげでお互いが憎しみあっていたことも忘れたまま、平和に生きている。しかし、記憶が戻れば争いになることは必須。今は物忘れが激しくても平和に生きていける。なのになぜ記憶を取り戻す必要があるのかという話に展開していく。

昔、誰にだったかテレビだったか、本だったかは忘れたけれど「認知症になるのは、人間が死を恐れないで逝くためのとても優れたシステム」と言っていたのを目にしたことがある。それにプラスして過去の辛い別れや悲しみも忘れて逝くことのできるようにしている脳の仕組みだとも何かで読んだ。

認知症の徘徊老人を抱えたご家庭にとっては腹のたつ話かもしれないが、もしかするとそういうこともあるのかもしれないなんて思ったりもした。

全ての思い出や感情をしっかりと覚えていたらきっと「今」がかなり辛くなってしまう。適度に「忘れる」ことができるおかげでトラウマや過去のいろいろなこと乗り越えることができるわけだ。

タイトルの忘れられた巨人。巨人というのは過去の記憶のことをいうのだろう。

例えば戦争ももし全員がそれを忘れたのなら、憎しみあうことはない。でも、そうした過去は忘れられない、忘れようとしても記憶にこびりついて落とせない。そして争いは続く。

ただ、戦争の勝者は歴史を書くことができる。戦争に勝って手に入れることができるご褒美で、領地よりもお金や優越感よりも重要なことは歴史を書くことのできる権利だと僕は思う。自分たちにとって都合の悪い行為は葬る=忘れ去ることもできる。受動的に忘れるのではなく故意に忘れる。こういう内容も多分に含まれているから邦題は「忘れられた巨人」ではあるが原題の『The Buried Giant』のBuriedには直訳して「埋めた」のニュアンスも含まれることがわかる。それでもこのタイトルは「忘れられた巨人」というのはすごくうまい。

この本全体を通して訳がすごく読みやすい。これは僕が高尚に物事を語れるほど知識はない(というかそんな領域一つもない)のだけれど、どうしても海外の小説を訳で読もうとすると読みずらいものがある。それは元から読みずらいというのもあるのだろうが、訳が下手なことも多分にあるんじゃないかと思う。

でも、この訳は非常に親切でリズムがあって読みやすい。嬉しい限りだった。

 

ただ、この小説。最後まで読むと「どういうこと!!!」と思わずにはいられない。オチが釈然としない。これはハッピーエンドなのかはたまたバッドエンドなのか。読後感はなんだか村上春樹を読んだ後のあのもやもやかんに似ている。

今年のノーベル文学賞は去年がボブディランという変化球だったから、今年は純文学に帰ってきたと言われている。それなら村上春樹も多分にチャンスがあったと思うのだけれど、、、。村上春樹。もう無理じゃないか?

 

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