今年の養蜂

今年の養蜂

さて、昨日は畑について書きました。ので、今日は養蜂について書いていこうと思います。

ちなみに以前、僕たちの蜂について書いたのは

街の蜂と春

なんと6月。随分と昔です。

夏も秋も蜂は順調。いろいろなところに出向きいろいろな花の蜜を取ってきてくれます。

今年は全部で30キロほど。一群しかいない、裏庭養蜂の僕たちにとっては十分すぎるほどの量を採ることができました。

日々こんな感じで、巣の中の様子をチェックしています。

夏の間は群れがどんどん大きくなって巣箱も三段になります。でも冬が近づくにつれて減って行き、今は二段。それでも去年よりも強く、蜂の数も多い群れです。

マルシェで野菜を販売するときに、すこーしだけハチミツも販売しています。これが意外と好評でした。

今では3店舗に僕らのハチミツが置かれています。

D&Department Hokkaido by 3KG 北海道札幌市中央区大通西17丁目1−7

円麦  北海道札幌市中央区南3条西26丁目2−24

Off Grid Cafe Physical 北海道札幌市中央区 北5条西11丁目8 Sacra bldg. 4F

 

です。どちらも素敵なお店ばかり。ありがたい話です。

が、ありがたいことに結構好評なので、極小規模の僕たちのハチミツの在庫はもう底をついてしまいそう。。。

おそらく年内には無くなって、次に出るのはまた来年の6月。。。

これが小規模の辛いところです。。。喜んで待っていてくれる人がいるのに、数を用意できない。

 

なんで僕たちの作っているものはいつもちょっと「足りない」のだろうかと、今蜂蜜のことについて書いていて、ふと思いました。ちょっと思ったことがあるので僕個人のメモ的にも書いておこうと思います。

 

僕たちはばうあー日和として野菜や蜂蜜を販売していますが、ほとんどずっと商品が「足りない」状態です。僕たちがしている小規模農業と小規模の養蜂は、どちらも一般的な小規模農家よりも小さい、言ってみたら極小規模なので、野菜もハチミツも大した量は収穫できません。

なのでマルシェをすると(ありがたいことに)ほとんどの野菜が売り切れます。ハチミツも在庫がなくなってしまいます。つまりは商品が「足りない」状態になるわけです。

世の中は過剰に素晴らしい経済システムのおかげで常に何もかもが「足りている」状態にあります。スーパーにいけば冬でも青々とした葉物野菜があるし、地球の裏側から来ている作物もたくさんあります。すごく「足りている」状態です。ハチミツもいつも置いています。

僕たちが「足りない」経済活動ができるのは、このグローバル化したフードチェーン、つまりは成熟した資本主義のおかげです。

僕の直売所でアイコを買えなくても、スーパーに行けばトマトが買えます(僕たちのが美味しいけどね)。僕たちの蜂蜜が買えなくても、スーパーに行けば、もしくはおしゃれな雑貨屋さんに行けば蜂蜜を買うことができます(僕たちのが美味しいけどね)。

つまり、僕たちの野菜や蜂蜜だけで見ると、いつも「足りない」けど、経済の中にある野菜や蜂蜜はいつも「足りている」わけです。

世の中が常に何もかもが「足りている」状態にあるから、僕らは「足りない」でもやっていけるわけです。

もし、みんながみんな、僕たちのように「足りない」経済活動をしたら、緩やかに貧困になっていくかもしれないから、グローバリズム万歳と言ったところでしょうか。成熟した資本主義。ありがたいです。ネットフリックス面白いし、アマゾン便利だし。

ただ、だからこそばうあー日和の野菜や蜂蜜が「足りない」ということに、意味を見出すことができるんじゃないかと思います。

常に「足りる」状態にするのは野菜を作るにしても、何にしてもめちゃくちゃ大変です。野菜を作ってみてわかったのですが、スーパーに常に野菜がある状態はなかなかにクレイジーな風景です。子供の頃から当たり前だったから疑問にも思わなかったけれど、いい意味でも悪い意味でもスゴい。

それは世の中が「足りている」状態を求めたからだと思います。商品は「足りない」よりも「足りている」方が、在庫の管理さえできていればもちろん儲かります。少なくとも、まだ儲けることができるのに「生産できないんです。」っていうように機会を失うことはない。

だけど、この「足りる」状態を作るために、辛い思いをしている人もたくさんいるんじゃあないかと思います。深夜の牛丼を「足りない」状態にすれば、深夜にワンオペで牛丼屋を回さないで済みます。服が「足りない」状態なら、一年おきにユニクロでカーディガンを買わないで、穴ポコを塞いでみたりできます。

もちろん、穴が大きければ買い換えなくちゃ寒いですが、何もかもが「足りている」だけが経済の望ましい状態ではないはずです。少しぐらい「足りない」という経済の状態も結構いいんじゃないでしょうか。

経済の入門書なんかをちょっと読むと(僕は数字が細かくなってきたらチンプンカンプンになりますが)、よく経済が人間の体にたとえられます。だとすると「足りている」状態をどんどん作って肥満になるよりも、たまに節制している方が健康的なんじゃないかと思います。

 

僕は極小規模だからこそ「足りない」経済のちょっとした実験ができるんじゃないかとふと思いました。

これからは、まだ僕たちももう少し僕たちお大きくなろうと思います。でも、いつも少し「足りない」を意識しながら大きくなれたらいいのかもしれません。

あっているかどうかやら、数字のことはなーんに考えていません。

 

ちゃんちゃん。

 

 

 

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