小さな農が僕は好き。

小さな農が僕は好き。

これは農業の話でもあるけれど、そうではないことに関係する話でもあると思う。

日本農業の世界では、もう長年「大規模農業」や「強い農業」という言葉がトレンドワード的に使われて来た。それはまさかアメリカの著名な不動産王が大統領になって保護主義の政策をとるなんて全く知らなかった頃、TPPという今では死語になった政策が盛んに議論されていた頃に使われるようになった。

TPP、つまりは関税を撤廃した自由貿易の導入で、海外からの安い農作物が大量に入って来て国内農業が破滅するから、それに負けない「強い農業」を作る必要があって、そのためにするべきことは「大規模農業」だというのが、一応の理由だ。

もちろん他にも理由はあって、農業者の高齢化に伴って農業をできない人が増え、その人がそれまで耕していた畑を近隣農家の若い担い手がいる農家が買うなどしてどんどん拡大していく(しかない)から大規模になっていくという流れもある。

こうした若い農家からすれば、農地が安価に手に入るわけで、どんどん離農してくれやという話にもなるのかもしれない。

でも、待てよと。TPPがもしあったとして安価な農作物が大量に入って来ても、国産を選ぶ消費者が多ければ、何も農家はTPPに怯える必要はないのではないか。政治家への反対活動以上に消費者への理解増進活動が大切ではないか。と当時大学生で意識エベレストだった僕は思ったものだけれど、なかなかそうはいけない。

東京の表参道にあるKINOKUNIYAに来ている人たちなら、意識エヴェレストで生産者を想像して消費をするかもしれないが、なかなか地方都市の中途半端な郊外のプライドが渦巻いた中心にあるようなマックスバリュなんかじゃ、なかなかそうは言ってられない。安さが正義だ。

 

でも農業にしてもエネルギーにしても金融にしても、中央集権的なあり方というのはどうも古臭いんじゃないかと思う。

例えば日本の全世帯5340万が麻袋にジャガイモを一個だけ植えて、一年に一回だけ収穫したら、全体で267億グラム(26700トン)の収穫になる。(500グラム収穫できた場合)。

まあ、これでもジャガイモの生産量の1パーセントの増産にしかならないのだけれど、食べ物の流れ的にはかなり変わると思う。

 

なかなか非現実的な話ではあるけれども、できないことではないと思う。戦争なんかが起きれば、国家が主体的にそんなことに取り組むことになるかもしれないけれど、今はまあありえない。

 

でも、そう言った小さな「農」が食料問題やなんかを解決する糸口になるのではないかと思っている。確かに大規模化はある程度の効果を望めるのかもしれないけれど、それは今までと同じ方向に向かう力を強めただけだから、あまりクールな選択肢だとは思えない。

今日本の「農業」に必要なことは産業としての農業を諦めることだと思う。もちろん全てではないにしても「農」にして「農業」をやめる、もしくは「農業」ではなく「農」を新しく始める人が少しでも、小さな畑ででも増えればそれはそれは面白いことになると思う。

 

僕がありとあらゆる情報が載っているこのでっかい海のようなインターネットの中で、あまり多くの人には読んではもらえないこんな記事を更新し続けているのも、少しでも多くの人が農業ではなく農の魅力を感じてもらいたいからだ。

ふと、そんなことを豆をまきながら思ったので、ざっくばらんに書いてみた。

 

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