キューバ旅行記2013②
さて、無事にキューバにつき、無事に宿に泊まることができた僕ですが、キューバの空港での色々な衝撃が募りすでに頭は容量いっぱいという感じです。
詳しくはこちら→vol.1
キューバ最初の夜はそんな思いを抱えて不安で不安で全く寝れず、、、ということはなく疲れ切っていたのでぐっすり眠りました。
そしてついにキューバでの日々が幕を開けます。
ちなみに泊まっていたのはキューバにたくさんある民泊です。総じてカサ・パルティクラルと言います。現地の人が開いているわけです。あまり細かいことはわかりませんが、キューバには市場がないので、ホテルやなんかもぜーんぶ公営です。だから外国の旅行客が泊まれるのは基本高級ホテルばかり、貧乏チェリパッカー向けの施設はほとんどありません。ユースホステルやゲストハウスがないということです。
そこで、どういう経緯で誕生したのかは知りませんが、海外でAirbnbなんぞが流行るずーっと前からキューバは民泊でした。
これは結構面白いことで、キューバは市場がない代わりに今でいうシェリングエコノミーのようなものがすでに存在して行われていました。シェアがエコノミーに進出してオシャレワードとして化けるよりもずっとずっと前。それはソビエトが崩壊した頃から始まりました。
キューバは革命後、ソ連に近づき、共産主義経済圏の中で生きて生きます。タバコやコーヒー、サトウキビなど熱帯機構特徴の嗜好作物を輸出する代わりに、エネルギーに医療品、日常食などなど、そのほかの国から輸入しておりました。
が、しかし1991年12月ソビエト連邦はゴルバチョフ大統領の辞任に伴い解体します。
ちなみにこの年日本はというと「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら。僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」だとメンヘラなことを考えたり、「愛には愛で感じ合おうよ」とちょっと変態っぽいことを言っています。
が、ソビエトという共産主義経済圏の中心国家が崩壊してしまったキューバには日本のように愛には愛で感じあっている暇なんかありません。なぜかというと、ソ連崩壊によってキューバの社会主義も終わらせようと企んでいたアメリカがキューバの経済封鎖を超本格化したからです。
その結果、エネルギーに医療品、日常食がなくなり、手元にあるのはタバコにコーヒーにサトウキビ。そういう嗜好性の高いものばかり。
絶望的です。
キューバ国民はガリガリに痩せます。
でも、ここで畑を耕し始めて自給率を上げようとするわけです。そこがまあすごい。
ないものは作る精神です。
輸入がないなら自給率を100%まで持っていければなんとかやっていけるわけです。で、キューバ国民は都市のコンクリートの上にもオルガノポニコという花壇のようなものを設置して野菜の栽培を始めます。
医薬品がないので予防医療に力をということでハーブの栽培も積極的に行います。
で、なんとまあ、自給率の高い農業エリートの国が誕生してしまったわけです。
ポスト資本主義を考えるテーマが社会主義国に転がっているというのは、意外とあることだと思います。
さて、前置きが長くなりましたが
とりあえず朝ごはんです。普通民泊にはありがたいことに朝食がつきます。ちなみに一泊¥2000-¥3000ほど。先進国として見れば安いですが、途上国として見るなら高い。そんな感じの値段設定です。
翌日朝起きると朝食がポツンと居間に置かれています。グアバにパンに目玉焼き、それと熱々のコーヒー。
まず気温が朝から25度超え30度近いのに、熱々のコーヒーというのが理解できません。
いや、冷やせというのではないのです、常温で一向に構わないのです。
ただ、ただ熱々はないだろうと。朝食があるのだけでも大変ありがたいのですが、熱々は。熱々は正直しんどい。
ただ、水が日本のように水道水を飲むわけにもいかないので、一度煮沸してコーヒーを作ると熱々になるということだと思います。ああ、なんて日本は恵まれているんだと感じずにはおれませんでした。
この朝食この日からしばらく食べることになりますが、基本的にメニューは変わりません。まあ朝食が毎日同じというのは世界的に普通のことなのでいいのですが、このグアバがマンゴーになる日があります。
その日は本当にハッピーデイ。
なぜかというと、僕は下前歯の歯並びが少し悪くて、一箇所グアバのタネが挟まりやすいところがあるのです。一度、そこにグアバのタネがもうきっちり挟まってしまって、フロスでも歯ブラシでも、手でもダメで、ものすごく焦ったことがありました。
グアバは常にタネが挟まる恐怖に怯えながら食べる必要がありましたが、マンゴーはやわっこくて甘くて貧乏チェリパッカーにも優しいお味です。
結局、午前中をフルにグアバのタネを取ると言うことに使い、なんとかカキ出したのを覚えています。あのグアバのタネが取れた瞬間は、この旅の中でも色濃く残るハイライトの一つです。
朝食を終えると、この日は辺りを散策して見ることにします。
これが近所の街並み。右手に白十字があるのですが、そこはハバナで一番大きい墓地です。素敵な装飾が施されているお墓が多かったです。
こんな素敵な門がお墓の入り口。
宿を出て歩くと、気がつくのはまずその匂い。
国ごとにニオイがあるとは言われますが、(日本は醤油のニオイと言われています)、キューバは軽トラのニオイです。
いや、軽トラだけではなく、ありとあらゆるエンジンやら軽油やらが燃えて、しかも性能がそんなんい良くないので臭い、そんな感じです。
決していい匂いというわけではないのですが、僕は好きです。
今でも、軽トラの臭いやつなんかはいい匂いがしますが、今ではあまり匂いのしないタイプの軽トラが増えているので少し残念です。きっとこのフェチをわかってくれる人はいると思います。
さらに少し歩くと、通りに面ししたところに小さなお店が。カフェやお菓子屋さん日常食屋にパン屋八百屋。
昼頃だったので、カフェで食べましたが、まあまあ英語が通じないので、カンの勝負です。貧乏チェリパッカーのわりには頑張りました。ただ、ここでも注文するわけでもなく、ただただたむろしている人がもう5-6人います。
やはりそれは社会主義ということなのでしょうか。社会主義は自由競争がない代わりに、あくせく働かなくても生きていけます。みんな屋根のある家に住む権利があり、今も少し残っている配給制度で食いっぱぐれることもありません。
ただ、だからか、仕事をしていない人は、路上で葉巻を吹かしています。朝出かけて夜帰ってきてもずーっとそこで葉巻を吹かしている人もいます。そして外国人の僕を見ると優しく笑いかけます。ハッピーピポーです。ちなみに、そういう人は笑うと大抵歯がないです。
カフェで出てきたのがこれ。
見た目はチーズとハムで美味しそうですが、味は正直美味しくはありません。
一番美味しかったのはこの横にある水です。水が最高に美味しかたたです。暑かったから。
近所の八百屋は計りが置いてあってどれも量り売り。さすがに南の国だけあって朝食の定番グアバやマンゴーやらやらが並んでいます。下の写真では他にかぼちゃ、トマトなどがあります。あの緑のはなんだっただろうか。ズッキーニに見えるけど、まあとりあえずはウリ科です。
見た目は日本ほど(あたりめですが)綺麗ではありません。これぐらいの傷きにするほうが珍しいですよね。
看板に野菜と値段が書いてあります。値段はもちろん現地通貨。僕はそのお金を持っていないので買えません(詳しくは後ほど)。
こんなに種類ないけど言えば奥から出てくるのだろうか。
で、さらに歩くと、観光地につきます。
革命広場と名付けられたそこは地球の歩き方にも登場します。
こんな像や塔があり、
めっちゃくちゃ広々としています。
日本しかりですが、世界中の大都市ってそういえば、街中はゴチャゴチャしていても街のど真ん中はめちゃくちゃ広々していたりしますよね。
なんでだろう?防災?
カストロが革命を成功させた後にここで演説をし、近くには国会議事堂や国の省庁があります。観光バスが回ってきてはチェゲバラのモニュメントの写真を撮って去っていきます。日本で言えば千代田区です。
ちなみに国内にあまりカストロの像や写真はありません。
これが変わったところ(というかうまいところ?)で、普通独裁者になると、自分自分の神格化を進めます。ソ連のレーニン像しかり、チャベスしかり、その他諸々しかりしかり、金、銅像、拳銃は独裁者の力のシンボルでもあると思います。
でも、カストロは革命を戦った同士をこういう形で残していますが、自分自身は何もしていない。謙虚ですらあるわけです。ただ、多分、カストロ亡き後には銅像を建てて、その周りで観光客が写真を取るようになる気がします。
悲しいですね。
で、さらにモリモリ歩き(貧乏チェリッパッカーなので基本移動は歩きです)、省庁のある方に向かいます。
なんでかというと、ファーマーズマーケットがあるからです。
日本だとあまり考えられませんが、ここではキューバの霞ヶ関の中にファーマーズマーケットがあります。近所には小さな苗屋さんがあります。いつもやっているわけではなく、週末などの午前中に開いています。テントなどでもなく、それぞれが割り振りされた建物の中で売る形式。
グアバにマンゴー、ズッキーニ。あの茶色いのはイモ系ですね。ヤムイモだったかな。形はヤムイモっぽい気がしますが、僕が今年収穫したサツマイモっぽくも思います。パイナップルに玉ねぎにバナナ。
どれも美味しそうです。それにキューバは有機農業大国なのでほとんど全部有機です。
ちなみにすごいのがこの看板。なんと野菜の栄養価が入り口にデカデカと掲げられているのです。
「VALORES NUTRITIVOS DE LAS HORTARIZAS」とは栄養価の高い野菜の栄養価。スペイン語は読めないのでGoogle翻訳で調べました。多分こんな感じです。
AJOはニンニク、BERENGENAはナスその後にミネラルやビタミンが書いてあります。
最初に書いたように、予防医療に力を入れているので、国民の中にも栄養価に対する理解が高いのでしょうか?
現地の人で賑わっていました。
ちなみに、キューバには当時、貨幣が2種類ありました。1つは僕みたいな外国人が使っているCUCというお金、もう一つが現地の人が使うCUPというお金です。
キューバが外貨を入れるためにやっていた政策でもあります。もちろん観光客の人は割高に買わなくてはいけません。銀行等で両替することもできるのですが、あまりしないほうがいい。とも言われています。キューバの国内経済にとって、観光業は貴重な外貨獲得手段だからです。
割高でも、国の制度なら郷に入れば郷に従う。貧乏チェリパッカーと言えども、それぐらいのことをしてキューバ経済に貢献しようと思い、その時はまだ両替していませんでした(このあと少しだけやってみました)。
はい。今日はここまで。まだまだ続きます(たぶん)。
チャンチャン。