肥料と歴史①グアノ

肥料と歴史①グアノ

グアノとは海鳥のフンが堆積し、化石化したもので農業用の肥料として古くから利用されてきた。歴史の流れの中でリン鉱石やチリ硝石、その他化学肥料へと主役の座を譲り、今ではメジャーな存在ではないが、現在でも海鳥やコウモリのグアノは広く農業生産用肥料として利用されている。

今、そんなグアノを理解するのが重要なことであると私が思うのは単に肥料としてその優れた特性から来るものではない。グアノが農業生産用肥料として初めてグローバル経済と手を取り合った商品だからだ。

それまで、人類は厩肥などを使い循環的な農業を営んでいた。しかし、グアノがグローバル経済に乗って地球をまたにかける肥料となったことで人類は農業生産に「他の土地で形成された物質を農地に施すことによる増産」という方法を学んだ。それは今では当たり前のことだが、まだ厩肥が主流であった当時のことを考えるとグアノという肥料がなぜグローバルに駆け巡ったのかを理解することは、グローバル経済の「根」を理解することであり、資本主義の成熟や、TPP、グローバル経済といったキーワードが議論に上がっている昨今にとっても、重要なことだと考える。

また、「他の土地で形成された物質を農地に施すことによる増産」という方法を学んだことによって、グアノだけにとどまることなく、次の肥料、農薬、そして果ては農薬や遺伝子組み換え作物へと進んで行った。時に人口増加を支える食料の増産を可能にしたこうしたものに賛辞が送られ、また同時に伝統的な方法の喪失に対する原因として槍玉にもあげられるこうした経済と食料増産との交差点。その最初がグアノなのだ。

 

1.はじめに

グアノは海鳥やコウモリの糞が堆積し、化石化したものだとは先ほど述べた。もう少し詳しく、グアノというものを見ていこう。

なぜ海鳥の糞が肥料として優れているのか。それはその糞が窒素やリンといった農業生産に重要な栄養素を備えているからだ。

グアノラッシュの震源地として名高いペルーの沖合では南極から北上する寒流が湧昇流を発生させる。この湧昇流が深海にある窒素やリンなどの養分を海面に運ぶ。そのため、湧昇流がない通常の海に比べ、ペルーの沖合は窒素やリンの濃度が高い。

窒素やリンの濃度が高いと植物プランクトンが非常に豊富な海となる。そして植物プランクトンが豊富であるために、それを餌とする魚が集まり、またその魚を餌とする海鳥が多数集まる。そしてそこに豊かな生態系が出来上がるわけだが、その結果海鳥が魚を食べ排出する糞には食物連鎖の中で濃縮された窒素やリンを豊富に持つことになるのだ。

この地球上の全海域の中でわずか0.1%しかないと言われている湧昇流がペルーに豊富なグアノをもたらすきっかけとなった。

とはいえ湧昇流無くしてもグアノは存在する。どんなものでも海鳥の糞はその窒素とリンのために農業肥料として有効なのだ。違いはグアノの品質の良し悪しだ。

 

食物の三大栄養素は窒素・リン酸・カリである。農学の歴史は、栽培により消失する土中のこの三大栄養素を、どうやって土中に戻すのかということすらできる。

例えば19世紀の実験により、草食動物は摂取した植物の1/3ほどの窒素しか摂取していないことがわかった。そのためその糞には大量の窒素が残っていることが理解された。しかしそれを土に戻してみても、失われるスピードの方が速い。そこで人類はマメ科の植物による窒素固定を手助けに、土中の窒素を回復していた。

しかし、グアノは土壌の肥沃を維持するためにこうした循環は必要としておらず、「グアノを農地に施す。」ただそれだけで、消費された窒素を補うことができる。

とはいえ糞尿は科学的な根拠が明らかになるより以前からも、伝統的な農法の中で用意られており、またグアノ自体も根拠が明らかになるより以前からインカ帝国やペルー沿岸の先住民族モチーカの人々に利用されてきた。

インカ帝国では、ファヌ(グアノのことをこう呼んだ。)を使い食料を増産することで1000万人近い人口を支えることができ、農業生産に関わる人員もファヌの使用によってこれまでよりも少人数でまかない、これにより余剰分の人員を建築といった他産業の発展に当てることができた。

そのためインカの人々は金と同等にファヌをあつかい、海鳥の営巣を妨げる人は死刑にもなりさえした。その後、スペインのコンキスタドールによって侵攻を受けるが、スペインはこのファヌよりももっぱら目は金に向いていた。そのためグアノの採掘は緩やかに縮小していき、原住民が使用している程度になっていった。

その後グアノに目をつけたのはドイツ人の地理学者で有名なアレキサンダー・フォン・フンベルトである。

彼は1802年赤道アメリカの探検の途中で、一見不毛な土地に穀物が豊かに茂っているところを発見した。そこにはグアノというものが与えられていることを知り、そのサンプルを採掘、ドイツとフランスで検査したところその有効性が理解された。

しかし、グアノが国際的なマーケットに登場するのはまだ待たなくてはいけない。1821年のペルー独立、そして農業の発展のために1830年ペルーはグアノを免税にした。これによってペルーの国内や近隣の小国ではグアノのマーケットが拓けたが、さらにグアノと国際的なマーケットとが結びつくには超大国アメリカの発展を待たなくてはいけない。

 

それでも1824年『アメリカンファーマー』という雑誌の編集者だったジョン・スキナーがペルー産のグアノを樽二本だけ輸入している。これはアメリカに持ち込まれた最初の化学肥料であり、ゆっくりとではあるが国際的な政治の手伝いもあり確実にグアノは求められていったことがわかる。

 

 

2.グアノの国際マーケット

1950年代にはニューヨクに定期的にグアノを積んだ船が到着するほど、グアノ取引は盛んになった。グアノの価格はとても高価であったにも関わらず、使用される農地もそれに伴いどんどんと増えていった。

この過程に何があったのか。

1940年実業家出あったドン・フランシスコ・キロスは6年間のグアノ採掘権と輸出の独占権を1万2000ドルでペルー政府より購入。その後イギリスリヴァプールのマイヤーズ商会と協力し2年間で8000トングアノを採掘、トン当たり60ドル、全部で50万ドルという巨額の利益を手にいれた。

ペルー政府から手に入れた採掘権と独占権は1万2000ドルで売り上げは50万ドル。随分と安い買い物だったことがわかる。

しかし、今と同じで最初は高級品が高く売れると、似た低価格品が登場し価格競争になる。この時もアフリカから品質は劣るが低価格なグアノがヨーロッパ市場に入っていきた。そのことでペルー産のグアノも以前ほどの利益を生まなくなっていたがこの時に目をつかられたのがアメリカでった。

それまでアメリカは「マニュフェスト・デスティニ」の名の下、ルイジアナをフランスから買収、テキサスの併合、カリフォルニアとテキサスの買収と、国土を50年のうちに独立当時の3倍にまで広げていた。広げられた土地で行われた農業は、当初はもともとの土地の肥沃さのおかげで、そこそこの収量を得ることができたが、しかし年が進むにつれどんどんと土壌の肥沃度が失われていった。

そこにグアノである。そのためグアノはヨーロッパでの低価格が進む中でもアメリカでは非常に高価に取引された。

 

しかし、外国産であるグアノはあまりにも高価だということがアメリカにとっては政治的な課題にもなるほどの問題だった。グアノによって農業生産量を増やし、より豊かな国を目指したいにも関わらず、彼らはまだ外国産のグアノ頼るしかなかったからだ。そこで1852年「グアノ法」を現場からの必要の声もあり制定する。

これはアメリカ国民がグアノがそのままに放置されている島、岩礁を見つけた場合にはその占有権を保護するというものだ。これにより、政府という後ろ盾を得た起業家たちはさらなるグアノの生産地を求めて探検を始めた。

海における開発事業は民間主体であっても国の外交戦略と命運を共にしやすい。この当時、アメリカは国土を拡大しており、国土の拡大と富国への道とを同時に達成するためにも、この法案が重要だったのだろうと想像する。

 

しかしフロリダでリン鉱石がそして窒素分としてはチリ硝石が入ってきたことから、物理的距離も遠く、法的にも超えなければいけない壁を抱えていたグアノは次第にアメリカ肥料のメインから外れていくことになる。

それでも工業化途上のヨーロッパでは特にリン鉱床を持たない国でグアノ島獲得のために奔走され、イギリスは第一次世界大戦後ドイツがそれまで持っていたリンが豊富なナウルを併合した。

しかし、グアノも有限の資源である。肥料用鉱床に乏しいドイツでは科学技術の発展でハーバーボッシュ法が確率。空気中の窒素を固定する方法が編み出され、グアノや鉱物を必要としなくなった。そしてグアノは歴史の表舞台から去っていったのである。

 

続く。