『ロボット』カレル チャペック 読書感想文

『ロボット』カレル チャペック 読書感想文

カレルチャペックの『ロボット』という本を読んだ。

原題は『R.U.R.』なので、タイトルは少し変えられている。

この戯曲からロボットという言葉が使われ始めたということなので、それをタイトルにバーンと持ってきたわけだ。わかりやすい。

中身はものすごく面白い。要約すると

人間がロボット(今イメージする歯車とネジのロボットというよりはクローンの方がニュアンス的は近いようには思う)を作り出し、そのロボットに生産を任せることで人間は労働をしなくて済むようになった。

しかし、自我に似た感情を持ったロボットが反乱を起こして人間を滅ぼしてしまう。

それから数年が経ち、ロボットは自分たちにも寿命があることに気がつくが、その時には新しいロボットを生み出す方法は失われてしまっていた(人間を滅ぼしたから)。

最後に一人だけ生かされていた人間になんとかしてもらおうとするが、、、。

という感じ。

途中まではターミネーターかな?というような内容だけれど、多分こちらが大元。

著者のチャペックはさすが『山椒魚戦争』という小説でナチスドイツを批判しただけあり、こちらでも色々なことを批判している。それに批判するだけではなく、批判していいのかどうかわからないけれど、一応は考えてみたほうがいいこともうまく描写している。

テーマは「労働の尊さ・効率性を重視しすぎることへのアイロニー」と言ったところだろうか?

最後に人間が一人だけ生かされるのだけれど、その人間が生かされた理由は「ロボットと同じように労働していたから。」だ。そこから、怠けないで労働することの尊さが伺え知れる。

ブスマンという財務を担当していた人は自分たちがロボットに取り囲まれている危機的状況なのに帳簿をつけている。それは日常にとっては大切なことなのだけれど、生命の危機という状況になっても、そういう本質的ではないことをしてしまうことを皮肉っているように思う。

これは効率性や今の社会で大切にされていることへの違和感を皮肉的に書いているのではないかと思う。

 

僕が個人的に響いたのは

一人だけ生かされたアルクビストの言った言葉

「二人のロッサムの夢ではなかった。年寄りのロッサムは神を神とも思わぬ自分勝手なインチキなおもちゃを考えたし、若い方のロッサムだっは百万長者を夢見ていた。それはあなたがたR.U.R.の株主の夢でもなかった。その連中の夢は配当だった。そして連中の配当のために人類は滅ぶのだ。」

という言葉。

R.U.R.(ロボットを生産している会社)が利益を追い求めるあまりに人類を滅ぼしてしまう。と端的に言えるだろう。

 

この文を読んで思うのは

「誰も悪い人はいない。」ということと「みんな悪いな。」ということではないだろうか?

人類を滅ぼしてしまうのだからそれは悪いことかもしれないけれど、その要因になった原因を作った人は誰も悪いことをしていない。

最初の年寄りのロッサムは作中でも変人と書かれているので、まあそれはしょうがない。若いロッサムは億万長者を目指していた。それも、悪いことじゃないだろう。じゃあR.U.R.の株主はというと、何も悪いことはしていない。ただR.U.R.という会社の株を買っているだけで、そういう人がいないと経済も回らない。

今、一般的な考えでいうと、ここに出てくる人は誰も悪くない。

でも、逆に言えばここに出てくる人は全員悪い。

若いロッサムが億万長者を夢見ないで質素に慎ましく暮らせばこうはならなかったかもしれない。R.U.R.の株主はいくらその会社が儲かっていそうだからと言って、社会悪になる可能性がある会社(そんなのほぼ全部だけど)の株を買わなければよかったのかもしれない。

と見ることもできる。

これは今の社会にも言えることだと思う。

意外と「最悪」というのは衆愚の状態ではなく、みんながみんなすべきことをしている状態なのかもしれない。

ある一方から見れば全部は仕方のないことだけれど、もう一方から見れば全部が間違っているというようなことがある。あまり二元論になるのはいいことではないけれど。

 

と、読んでも思ったこと感じたことを、断片的にツラツラと。

戯曲なので2時間あれば読めるし、ぜひ読んでみてください。

 

チャンチャン。

 

 

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