またまた政治の話を

またまた政治の話を

インターネットが普及したことで情報が今まで以上に容易に手に入る。しかも簡単に情報の発信者にもなれる。

だからこそどの情報を信じてどの情報を疑うかといったメディアリテラシや情報リテラシが問われるようになって、SNSからの情報を主に受容していたりすると、入ってくる情報が蛸壺化するという問題点もある。

 

というのは僕が考えたことではなくどこかで読んだことだ。

 

当たり前の話だけれど、何かしらの意図がない限りはTwitterにしろFacebookやInstagram,Snapchatにしても自分が興味ある人、趣味嗜好が合う人しかフォローしない。もしフォローしてる人が自分と違う考えを連投したらフォローをやめたりもする。

フェイスブックは友人のつながりだから、もちろん多様な交友関係がある人は多様な投稿があるとは思うけれど、興味のないことばかりを投稿する友人はミュートするだろうし、ある程度は(表面上は)似た価値観の交友関係で構成されやすいとも思う。

 

とそんな感じで、取捨選択を繰り返していくうちに、自分に降ってくる情報がテレビや新聞以上に、自分の好きなニュースや情報しか手元に入ってこないということが起こりやすくなった。

 

 

全世界的な右傾化はインターネットによって広がった社会の反動で個人の内向化だと言われてもいる。広がった世界に自分の居場所を見いだせなかったら、もっとも根源的なアイデンティティである「母国」にしがみつくしかない。

この「母国」にしがみつかせる行動を引き起こしたきっかけ(の少なくとも一要因)はこの情報の蛸壺化があると思う。

 

でも当たり前のことではあるのだけれど、自分の住んで居る世界だけが世界ではない。

このあいだ北海道五区補選で池田まきさんと和田義昭さんが競い合った。僕は自分と同じ選挙区ではないし、フェイスブックで上がってくるのは池田さんを支持する声ばかりだから、ああ圧勝なんだろうと思ってあまり興味がなかった。でも実際は違った。

 

その時にああネットで声がでかいあの人や、政治学の教授も、意識高い大学生が大っ嫌いと言っていた人や隣の住民や向かえの人もみんなもれなく一票なんだと気がつかせてくれる。

 

 

さて、今回の参議院選挙は「ああやっぱりSNSで見えて来る世界は一側面にすぎないんだな。」と思うかそれとも「ああやっぱりあれだけ盛り上がってるみたいだし、SNSで上げてる人も頑張ってたし。今回はこっちが勝つよな。」と思うのか。

 

後者であってはほしいけれど。

 

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