『ヒトラーに抵抗した人々-反ナチ市民の勇気とは何か-』読書感想文

僕がもしもこの本の人物が登場する時代、つまり第二次世界大戦下のドイツにいたらどうしていただろ?
この本の中には、ナチスの時代にナチスに反対し、行動したドイツ人が描かれている。
僕はここに描かれている人がしたような行動をとることができただろうか?
秘密警察に隠れながらユダヤ人支援をしていただろうか?
それとも映画化もされた「白バラ」のようにミュンヘンの大学に通いながら、ナチスに反対するビラを撒いていただろうか?
あるいは最初はナチスに傾倒し軍に入ったのち、その後に反ナチに転じ、クーデターを図っただろうか?
あるいは地方の一労働者でありながら、ヒトラーを倒さなくては国が正常になることはないと考え一人で暗殺のために時限爆弾を作るだろうか?
「今」の価値観で考えると、ここに描かれる様々な主人公を肯定しその悲劇の結末に感動することができる。
しかし、僕がもしもこの時代に純潔のドイツ人としてドイツにいたら、こうした活動を行っていなかった、あるいは反対に密告していたかもしれない。
僕はユダヤ人差別の政治を歓迎して迎え入れていたかもしれない。
知らないと言うことにかまけて知ろうとしていなかったかもしれない。
ヒトラー政権により経済が発展したのは事実だとして、そうした改革に浸って楽しんでいたかもしれない。
そう考えていくと、自分というものが恐ろしくなる。
でも、それがその時代のドイツではマイナーな考えではなくメジャーな考えだったということを忘れてはいけない。
今の価値観で考えると、こうした時に行動できるほどに強い人間でありたいし、大衆に流されづ自分の良心に従いたい。
と、誰もが思う。
でも実際にはその誰もが大衆を作っている。
僕はどうしていただろうか。
自分や自分の家族のために嘘をつくかもしれない。
おそらく今の時代、同じようなことを問われているのではないだろうか。
そしてこの時代、日本でも同じようなことがあったはずなのにそれをあまりにも知らないと言う事実に少し怖くなったりする。
考えるきっかけにとても面白い本でした。
『ヒトラーに抵抗した人々-反ナチ市民の勇気とは何か-』對馬達雄著 中公新書 2015