読書『エヴァンゲリオン化する社会』

読書『エヴァンゲリオン化する社会』

『エヴァンゲリオン化する社会』常見陽平を読んだ。

この本はずっと読んでみたいと思っていたけれど、なんだか読まなくても書いてあることが想像できたので読んでいなかった。

 

エヴァンゲリオンを見たときに感じたことは、登場人物たちは皆、「普通の人間」が持っている色々な感情のある一面を極端にした人物だということだ。

 

例えば主人公=碇シンジ

本の中で指摘されているように、主人公とは思えないぐらいウジウジしている。色々なことから逃げているし、すぐ責任転嫁するし、常に自分の居場所を探している。

ナヨナヨしていて、見ている側はものすごくイライラさせられる。

でも、だ。このナヨナヨした感情というのは実はほとんどの人間が持っている感情なのではないだろうか??

例えば、僕らは学校教育や就職活動というのを通して、どういう人間が優れているのかということをなんとなく理解しているし、そこに少しでも自分を近づけるべく努力されている。その理想とはナヨナヨしているシンジ君とは真逆の人物像だ。

 

でも、自分の中にシンジ君のような感情があることを、個人個人は知っているけれど、それを認めると、理想とされている人物像からは遠ざかってしまう。だから余計にイライラしてしまうということはないだろうか?

強いプレッシャーにさらされればイライラすることもあるし、逃げ出したいと思う場面もある、そして、何かしらに所属していなくては漠然とした不安感というのはついて回る。

これは何もシンジ君がナヨナヨしているわけではなくて、誰もが感じることなのだろう。

問題はそれを否定するのか、肯定するのか、それとも受け入れた上で変わっていくのか。そういうことだろう。

 

惣流・アスカ・ラングレープライドと「こうでなければいけない」「こうであるのがいい」といった事柄にとらわれすぎている。

これもまた現代を生きる人に当てはまることかもしれない。

他人よりも優れていなくて自分の価値を見出せない。優越感と存在意義とが混在してしまうことがやっぱり誰にしろあるのではないだろうかと思う。

 

 

あまり人間社会学や心理学的なことは詳しくないけれど、シンジ君は人間が「自分の中にあるとは認めたくはないけれど、ほぼ間違いなく存在している感情」が極端に出ていて、アスカは「他人に対して優越感を感じなくては自分の存在意義を見出せない。」という二つの感情が大きなポイントいなっているような気がする。

 

エヴァンゲリオンに最近はまって、色々と憶測なども見てみて楽しんでいるけれど、まさかそれと労働問題と絡めて考えることはなかった。

でも、ヒットするものには必ず「時代性」というものがあるわけで、その後の社会に何かしらの影響はある。

 

とても、面白い本だった。やっぱり読んでよかった。

 

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